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忘れ物はないですか?

ポケモンカードを言語化した人の体験記

 

 「カードゲームの言語化」って嫌いな言葉なんですよね。そんなタイトルをつけることしかできない自分の語彙力の無さが嫌で嫌でたまりません。

 

 カードゲームの言語化というと私のチープな考えでは「Noteを書いてデッキを解説する」「プレイの一部分を切り取って正確な判断を下す」程度の考え方でした。皆さんはどうでしょうか?そのゲームのインフルエンサー的存在に言語化について言及されたことはないでしょうか?今回はそんな二番煎じな話はしません。自分の体験だけを書きます。

 みなさんはカードゲームで言語化をしたことはありますでしょうか?ブログで発信している、詰めカードゲームをやっている、プレイを解説できるという方はたくさんいらっしゃると思います。私もできますしやってきて「自分は言語化できているプレイヤー」だと自負していました。過大な勘違いは身を滅ぼします。

 

 今回は説教臭いことを書くことはありません。自分が体験したカードゲームの言語化について書きます。半分は自慢で半分は自分の体験のセーブポイントを作ることが目的です。

 

 

【はじめに】

 

 

 上の画像は自分が2022/5/31~2022/7/17で私が参加したポケモンカードの大会の参加履歴です。何が書いてあるかは大雑把にわかると思いますがたくさんアルセウスとジュラルドンの画像があります。

 

①PCG conference#31 優勝/53人

②Late NightS5 14位/190人

③PCG conference#37 3位/65人

④PCG conference#47 2位/47人

⑤UnderGround41 5位/57人

 

 参加は5回しかないのですが、ほとんどの大会で予選を抜けることができポケカを初めて1年程度の人間としては上出来な結果を出せているように感じます。この時点で「いやいやお前の自慢見るためにこのブログ読んでるんじゃねえよ、はやくお前の言語化について話せよオナニーマスター!」と思われています。最初に予防線を張っておくと私は強いプレイヤーではなく運がいいだけのプレイヤーです。

 この5大会はすべてコミュニティのほうで配信しながら参加した大会です。だからなんやねん!ですがこの「配信」という行為のおかげで少しだけ言語化を通じてポケモンカードが上手くなった話を書いていきます。

 

 

言語化という体験】

 自身がゲームの配信をし始めてまず苦労したことはしゃべり続けないといけないということです。視聴者なんて2桁もいない状態で大会の配信をしていますが誰かが見てくださっている以上その方々を楽しませる義務があると思いながら努力・善処しています。そんな中「話続けなければいけない」という意識がプレイヤーとして良い方向に作用したのが私の体験です。

 

 参加している大会中、配信をしているということが話し続けなければいけません。皆さんは真剣な大会のカードゲーム中しゃべることはありますか?ないと思います。紙の大会で一人だけブツブツ喋っている人間がいたら確実にそのカードショップ、会場では注目の的になるでしょう。知らんけど。しかし配信では違います。常にしゃべらなければいけないので必然的に自分の盤面や状況、有利不利かこの手札でどのように動くかを常に垂れ流しながらゲームを進行していました。一度話してからカードを切っていくためプレイがゆっくりになりました。そのため1枚のカードをプレイするまでに考える時間が生まれ、より精度の高いプレイができるようになりました。

 

 紙媒体でカードゲームをプレイする時はしゃべる必要はありません。誰も見ていないオーディエンスを楽しませる必要はありませんし、相手との必要以上のコミュニケーションは避ける傾向にあると思います。自分のプレイ指標を口に出すことは手札を公開しているのと同様で相手に情報を与えてしまいます。そのため自分のやりたい行動はすべて頭の中で整理し行動に移す必要があります。カードゲームプレイヤーはその一連の流れに慣れすぎてしまいました。立ち止まることなく自分の最初に見えた行動を淀みなく盤面に変換することができます。デッキを回し慣れれば慣れるほど「○○をサーチして、殴って○○して終わるか、」を1秒で考えそのままの行動をできます。ここに大きな罠があったように感じました。与えられた時間というリソースの中で何回冷静に立ち止まることができるかが重要に感じ、そのたび言語化することでより確かなプレイができたように思います。

 

【シャカパチもといルーティンワーク】

 シャカパチ論争を毎年見ます。私は紙をプレイする際にシャカパチはします。よくやります。しかし「シャカパチしながら考える」と「口に出しながら考える」では同じ考えるという行動でもクオリティに天と地の差があることに配信をすることで気づくことができました。紙でカードゲームやってる時、自分はあまりに浅いことしか考えられていなかった、と10年以上遊んできて気づくあたりが非常に滑稽さを感じ自分でも笑いが出たほどです。気の許した友人との練習段階ではひたすら言語化することが上手くなるためのステップの1つだと考えることができるようになりました。

 このままだと「シャカパチは雑魚がやること!やめろ!」というヘイトスピーチになってしまうので擁護もできます。スポーツ選手もルーティンワークってやりますよね。バッターボックスに入るときにバットを回すとかテニス選手がガットの網目を直してみたりと気持ちを落ち着けるための行動の一つですね。シャカパチもカードゲームプレイヤー共通のルーティンワークとして捉えられるようになればと思います。

 

 

【まとめ】

 自分のプレイ指標を言葉にすることによって時間が生まれる=考える時間が増える。紙ではあまりにも考える時間を自分自身で削減しすぎている。

 

 色々書きましたが書き留めておきたいことはこの2行です。思い返してみるとこれができている人間はコミュニティ内でも非常に少数で、その人間はある程度の実績を持っているため有効な練習方法であるように感じます。

 この「言語化」という方法はあくまで私自身がカードゲームが上手くなるためのプロセスの一つであり万人に共通することではありません。そのため全人類これやれ!という主張ではありませんし成長を約束するものでもありません。